ある日、突然。

悪性高血圧と、それに伴う心不全・腎不全・網膜症・脳梗塞など。現在も続く治療のあれこれとその周辺を記録するブログです。

歩けない。

年末の具合の悪さはいったん持ち直したものの
体調の悪さはずっと続いていた。


翌年1月に入ると、朝、歩くと息が詰まって動けなくなる日が出てきた。


毎朝、9時前には会社に出かける。


自宅はマンションの7階だ。
自宅を出ると、家の前の廊下を歩いてエレベーターに乗り、
下階に降りてマンション前の大通りに出る。
大通りを10分程度歩くと駅に到着するので、
そこから電車とバスを乗り継いで30分くらい。
さらにバス停から15分程度歩くと会社の入口に着く。


会社は交通の不便な都会の住宅街の真ん中にあり、
移動は電車やバスに乗るよりも、歩いている時間のほうが比較的長いのだ。


最初は、マンション玄関を出たあたりで胸が詰まって体が動かなくなった。


息切れというようなものではない。体が動くことを拒否していた。


少し休むとまた動けるようになるので、少し歩く。また止まる。


数メートル先の目標物を決め、そこまで歩けばいったん止まって休んでも
他の通行人に悪目立ちしないだろう、などと目算を立てながら
とにかく目的の場所まで歩ききることだけを考えた。


そんなことを何度も繰り返すと、自宅前の大通りまで辿りつく。


そうすると一番の難関はこの大通りだ。


6車線ある非常に大きな通りで、
この通りを渡るとバスやタクシーの乗り場があるので、
出かけるなら最低限、ここの横断歩道だけは渡らなければならない。


ところが、横断歩道が青信号のうちに渡りきることが難しかった。


青に変わってすぐに渡り始めないと途中で信号が変わってしまうので、
信号が変わるタイミングに合わせて、息を止めて必死に歩く。


現在、普通に歩いても信号途中からでも難なく渡りきれることを考えると、
当時、自身はふつうに歩けると見せかけるために必死であったが、
歩くスピード自体、相当に遅くなっていたのだろう。


またそんな状態だったので、歩いて通勤はとても無理、と即座に判断。
この際お金は度外視だと、タクシーを利用することにした。


今考えると、何をそんなに必死になっていたのかと思うところもあるが、
当時は生活の中の大事な部分を仕事が占めていた。


これによって、とにかく大通りまで出てしまえば通勤自体は何とかできる、
という目算を得た。


ただ1回に歩ける距離は、日を追うにしたがってだんだんと短くなっていった。


最初はマンションの玄関外まで歩けていたものが、
エレベーターを降りたところまでになり、
エレベーターホール前までになり、やがて自宅の玄関まで、といった具合に。

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