ある日、突然。

悪性高血圧と、それに伴う心不全・腎不全・網膜症・脳梗塞など。現在も続く治療のあれこれとその周辺を記録するブログです。

集中治療室というところ。

そんなこんなで入院が決まった私は、IMCUへと運ばれた。
循環器系の準集中治療室である。


とはいうものの、
自分が運ばれたのが集中治療室であると認識したのは後日の話。


実は自分が集中治療室に入っていて、
本来は見舞いも禁止の身であることを知ったのは、入院翌日、
件の上司が見舞いに来ようとして部屋の前でストップをかけられた時であった。


ちなみに、緊急処置室から入院病棟までは車椅子での移動した。


車椅子に座るのも、車椅子を押されるのも、何もかも初めての体験である。


あたりまえのように車椅子に促されたので何気に座ったものの、
初めての体験にけっこうドキドキしていた。


集中治療室では、
鼻カニューレで酸素吸入。
右腕に24時間血圧計とパルスオキシメータ。
胸に心電計を装着。
左手の甲には点滴用のルートが確保され。
全身管のついた、まさにフル装備の状態となった。


右腕の血圧計は、おそらく1時間おきだったか、
定期的に自動で血圧が測られるのだが、
そのたびに腕を痛いほどにキツく締め上げられ、
夜中でも寝ていてもおかまいなしの上、腕がちぎられそうな勢いだ。


入院時のSpO2(血中酸素濃度)が80台というと、
「よく歩けたね」「苦しかったでしょう」とよくいわれるが、
私の体はおそらく、徐々に濃度が下がって低酸素状態に強制的に慣らされた
いわゆる茹でガエルの状態に近かったのではないかと推測している。


歩くと確かに極端に息が詰まってはいたが、「苦しい」自覚は乏しかった。


ただ、自覚はしてなくても体に相当の負担はかかっていたのだろう、
酸素吸入を始めた瞬間、体がほっと緩んだのがわかった。


また集中治療室での行動範囲はベッドの上のみ、とも言い渡された。


入院すると、自力で動いてよい範囲まで医師によって決められるとは。
考えもしなかった。
盲点である。


トイレも当然、ひとりは禁止。


すべては、車椅子と看護師付きである。


心不全治療の基本は、体の中に入れるもの・出すものの管理だ。


集中治療室のトイレはドアがついていない。
そのまま車椅子で出入りしやすい構造になっていて、
便器には、出したものを受け止めるためのお皿が設置されていた。
出した尿の量を漏らさず測るためのものであり
通常の尿検査のように1回1回、紙コップを使ったりしなくても
できるようになっているのだ。


本当に動けなくなると尿カテーテルになるのだろうが、その前段階として
普通の自動トイレに取り付けられるようにうまくできていて
こんなものがあるんだ、とちょっと感動。



ただ、裸になること、自分の体を任せることに抵抗があったからこそ
病院も健診もサボっていたわけで。


だがここでは、そんなことに何の意味もなかった。


体の中も外もすべて当たり前に裸にされ、さらされる。


そして「治療」という大義名分の前には、
どんな人も平等に、人としての尊厳はすべてはぎとられる。


病院とはそんな場所だ。


入院中はそんなことを何度も思った。

緊急入院。

紹介された総合病院は都心の大規模病院で
病院にまったく興味のない私でも名前は知っているところだ。


改めて総合病院で受付をすませると、私は循環器内科へと向かった。


生まれてこの方、
街の小さなクリニックくらいしかかかったことのない私が、
総合病院、しかも循環器内科に来ることになるとは。


まったく縁のなかった場所。


現実感が非常に薄かった。


受付で少し待つと緊急処置室に呼ばれ、
そこで検査着に着替え、ベッドに横になるよう指示された。


血圧・採血など、再び検査が始まった。


少し広めの室内には、若い医師や看護師らしき人が何人もいて、
たむろしながら話をしたり、何か機械をのぞき込んだりしている。
私が運んできたと思しきCT画像を見ている人もいる。


1対1で対面する診察室と比べると、何か少しラフな雰囲気だ。


医師がときどき私のところに来ては、これまでの症状を確認し、
私は内科医院で説明したことを思い出しながら、もう一度繰り返す。


そうこうしているうちにも、昼間の内科医院から、
私の今日の血液検査の結果などが直接送られてきているらしく、
「今、とったのとほとんど同じだな。」といった会話が漏れ聞こえてくる。


内科医院でも総合病院でも、その日検査した内容について、
具体的なことはまだ何ひとつ説明されてはいなかったが
伝わってくる雰囲気や、漏れ聞こえる会話からは、
何かあまりよくなさそうだな、ということだけが察せられた。


しばらくすると、自分と同年代、40代くらいの医師が来て、
「入院したほうがいいけど、大丈夫ですか。」と話しだした。


ただ、聞いていると、
週末近いので、今日、入院しても検査がすぐできないとか、
週末は寝ているだけになるとか、話がどうも煮え切らない。
しかもなぜか、心なしか迷惑そうにしているように見える。


そもそも入院するかどうか、私が自分で決められるのか?
必要ないと私が思えば、それでもよいのか?
ではなぜ今、自分は入院を勧められたのか?


まったくわからない。


じゃあいったん家に帰って準備して、週明けに出直すのでもいいですか。


そう聞いてみると、そういうわけでもないらしい。


なにかはっきりしない。


病院に検査に行って入院。そのまま帰ってこなかった。
いやそれは、やっと病院に行ったと安堵しているはずの
家族や職場の皆を驚かせるだけである。
いったん帰宅し、自分の口から直接、状況をマイルドに説明する。
そのうえで入院・治療できるなら、そのほうがよいに決まっている。


このお医者さんはなぜ迷惑そうなんだろうか。
忙しいところに、夕方、突然飛び込みの患者が舞い込んだから?
いやいや準備が間に合わないから?
それとも入院用のベッドがいっぱいで埋まっているとか???
何か入院を嫌がってる、と思われてるようなふしも感じる。


自分が現在どういう状況におかれ、医師たちにどのように見られているのか。


慣れない場所で、医者という異文化の人たちの反応を読みとるには
ふつうの健診ですら避けてきた自分には、あまりに経験が不足していた。


また、朝には想定もしていなかった展開に、混乱もしていた。


いろいろ逡巡し、どう答えたものかと口ごもっていると、
別の年輩の医師に、「入院したほうがいいよ」と
それ以外の選択肢を与えない諭すような口調で、再び入院を促された。


「わかりました。」


私がそう答えると、やっとその場の空気が少し緩んだ気がした。


「じゃあ、入院の部屋の準備ができたら呼びに来るから、
そこのベッドで休んで待ってて。」


とりあえずの方向性が決まって嬉しかったのか、
そういうと、若い医師は軽い足取りで消えた。


私はといえば、職場や内科医院、自宅へ順に電話をかけさせてもらうと
準備ができるのをぼんやり待っていた。


そうして待っている間にも、いかにも大学を出たばかりという雰囲気の
研修医らしきらしき人たちが、ものめずらしそうに私のところに来ては
「ピンクの痰は出ましたか」とか、嬉しそうに聞いてくる。


嬉しそうに、というと語弊があるな。
好奇心にあふれた様子で、というべきだろうか?


私はなんだか動物園のパンダにでもなったような気持ちで、
次に呼ばれるのを待った。

心不全、起こしてるよ。

画像クリニックに辿りつくまでも、一度では歩行できず、
休み休みという風体でとぼとぼ歩き、何回か道端でヘタりこんでいたら、
親切な警察の人に「大丈夫?」と声をかけられてしまう有様だった。


よほどふらふらしているように見えたのかもしれない。
気をつけねば。


そんな調子で画像検査クリニックに行くと、そこは高層ビルの一角で、
待合室は、病院というより小さな会社の待合室のようだった。


そして待合室に待っているのは自分だけで、とても静かだ。


指示されるままに着替え、CT撮影し、撮影フィルムが渡されるのを
少し緊張しながら待つ。技師なのか医師なのかよくわからないが、
結果に何かコメントを付けてくれているようだった。


1時間あまりで画像を受け取ると、私は内科医院に戻った。


そして再び、内科の診察室。


中に入ると、先生が私が今運んできたフィルムを出しておもむろに言った。


「心不全、起こしてるよ。」


想像してなかった言葉を言われた私は、一瞬、虚を突かれ「は?」となる。


「紹介状を今書くから、すぐ〇〇〇病院に行って。」
「僕の後輩の医師がいて、云々…」


なにかいろいろ話してくれていたが、申し訳ない、詳細は記憶に残ってない。


ガンとか心筋梗塞とか糖尿病とか、わかりやすい病名ならよかったのだが、
言われた言葉が「心不全」。


昔は死因がはっきりしない場合の病名をすべて心不全と称していたなあ、
心臓が動いていない、でも自分はまだ死にそうな感じはしないし、
とかの脈絡のない感想は出てくるのだが、
心不全がどういう病態なのか、どういう人がなるのか、
自分の中の知識と全くつながらない。


どう受け止めるべきか、それがわからない。


混乱のままに、言われたことに「はい」「はい」と生返事でうなずくと、
そのまま先ほど撮影した画像を紹介状とともに再び渡され、
総合病院にタクシーで移動することになった。


その日、内科医院には朝10時には来院していたのだが、
再び出た時、すでに15時をまわっていた。